【 フ ラ ン チ ャ イ ズ 発 展 史 】第 2 回

一口に「フランチャイズ・ビジネス」といっても、原型となったビジネス分野特有の性質からいくつかの形態にわかれています。今回は、フランチャイズ・ビジネスのタイプについて、その歴史的視点から学びましょう。

1:フランチャイズ・ビジネスの誕生

[2]フランチャイズ・ビジネスのタイプ  その1

(1)商品商標提供型フランチャイジング= 伝統的なフランチャイジング

現在一般に知られている「フランチャイズ・ビジネス」に先立って、まずアメリカで広まったフラン     チャイズ・ビジネスの形態は、自社の商品を販売するためのフランチャイズ・チェーン、すなわち「伝統的フランチャイジング(traditional franchising)」と呼ばれる「商品・商標型フランチャイジング(product and trade name franchising)」でした。

「伝統的なフランチャイジング」を代表するのは、前回ご紹介した「シンガーミシン」を先駆けとして、自動車及びトラックのディーラー、ガソリン・ステーション、清涼飲料水のボトラーなどがこの仕組みでマーケットを拡大することに成功しました1898年に自動車メーカーである「ゼネラル・モーターズ(GM)」、1900年に「コカコーラ」というように、続々と「フランチャイズ・ビジネス」が誕生し発展したのです。ビジネス用語としての「フランチャイズ」は、この時期から世に広まり始めました。

(2)自動車業界

自動車産業の勃興当初、自動車メーカーはエンドユーザーに直接販売を行っていました。しかしGMはフリーのセールスマンに同社の自動車販売権を与えることで、フランチャイズ方式のディラー制度を確立しました。この結果、GMは、販売コストや販売の手間を省くことによって、メーカーとしての事業領域に専念すると同時に、「フランチャイズ・ビジネス」を支える多くの加盟店が積極的に市場を開拓したことによって、自社のブンド・ロイヤリティを確立することができたのでした。

GMが「フランチャイズ・ビジネス」によるマーケティングを導入した直接の動機は、自社の出先にいる単なる勤め人マネジャーでは販売意欲があがらないのを見て、独立自営のフランチャイジーに販売を任せた方が売上増進を期待できると見抜いたからこそでした。さらに、フランチャイジーは自社の事業拡大のために必要な土地、建物、設備、在庫品およびスタッフの雇用に対して自ら投資してくれるので、GMは巨額の投資を生産機能に振り向けることが可能となり、その結果、新車の開発を積極的に行うことができるようになったのでした。

GMの成功は他の自動車メーカーの注目することになり、1920年頃には、自動車産業全体に普及し、全米自動車売上の95%は加盟ディーラーが稼ぐようになりました。このことが、自動車の販売を増大させ、国全体の経済的な発展に大きく貢献しました。また、自動車が普及することによって、各地にガソリンの需要が高まり、これに呼応するように、石油精製会社は、1920年から1930年にかけて、「フランチャイズ・システム」を採用し、短期間で全国に販売網を築くことに成功したのでした。

(3)ボトリング業界

アメリカでは、「コカコーラ」と「ペプシコーラ」の「フランチャイズ・ディストリビューション・システム」が、初期のフランチャイズ時代を築きあげるきっかけになりました。1899年、チャタヌーガーとテネシーの2名の実業家が「コカコーラ」のボトリング販売の権利を手に入れました。

この時のライセンス契約では、「コカコーラ」がボトラーに自社製の原液を販売し、統一された商標を提供し、広告宣伝まで行うことになっていました。この結果、「コカコーラ」の人気が高まり、それに倣って「ペプシ」「ドクター・ペッパー」「ロイヤル・クラウン」などが続々と「フランチャイズ・システム」を導入して成功を収めました。

(4)業界の動向

「商品商標提供型フランチャイジング」は、メーカーのチャネル戦略として「フランチャイズ・システム」の普及には役立ちましたが、第2次世界大戦後は次第に成長が鈍化してきたのでした。その大きな理由は、フランチャイズによるビジネスの拡大がそれぞれの分野で販売競争の激化を招き消耗戦に陥ったこと、また、メーカーが主宰する「フランチャイズ・ビジネス」では、いくら卓越したマーケティング戦略を駆使しても、本部はつまるところメーカーであるためプロダクト・アウトの発想にとらわれ、第2次大戦後の新しい時代の消費者の「ニーズ」を見抜くことはできなくなってしまったからであるといわれています。これを打ち破るには新たな顧客を想像し「ウォンツ」を喚起できる企業が登場する必要がありました。

to be continued