本コラムは、「フランチャイズ・ビジネス」の本質を深く理解し、応用していくために、弊研究所が研究してきたフランチャイズの歴史をお伝えするものです。

前回まで、1960年代までの「アメリカのフランチャイズ発展史」を追ってきました。本格的にアメリカがフランチャイズ・ビジネス時代を迎えたのは、1945年に「ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)」と「マクドナルド」が創業したのが始まりです。ここからしばらくはこの2社の歴史に焦点をあて、時代の変化に対応して永年業界のトップを走り続けてきた企業の成功要因を探っていきます。

    [ケンタッキー・フライド・チキン](1)

(1)創業者:カーネル・ハーランド・サンダース
①「アメリカで最も有名な人」

創業者であるカーネル・ハーランド・サンダースは、アメリカの大統領より有名で、「リンカーン以来、アメリカで最も有名な人」と書かれたことさえあります。その顔は、アメリカ特許商標庁の「トレード・マーク登録番号810835」として登録され、アメリカだけでなく、世界中で「KFC」の看板、カーネルの人形、パッケージ、テレビ・コマーシャルからお客様に笑いかけています。

②カーネル・サンダース記念館

また、「カーネル」とは名前ではありません。アメリカ大統領にも贈られる、ケンタッキー州からの「カーネル(名誉大佐)」という称号です。KFC本部は白亜のコロニアル様式の建物で、この中にはカーネル・サンダース記念館があり、カーネルを偲ばせる遺品の数々が展示されています。

 

カーネル・サンダース記念館では、

・初期のTVコマーシャル

・いまは茶色に変色した創業期の紙製パッケージ

・カーネル考案の手作り文字盤の調理用時計

・フライド・チキンをファーストフード産業まで普及させることになった当時の圧力釜

などが展示されています。片隅には、カーネルのドキュメンタリー・ビデオが常時上映されています。

          

この記念館を訪れる見学者たちは、真剣に食い入るように展示品をのぞき込み、ビデオ「ある偉人の肖像」を見て感心します。このようにカーネルは、アメリカ人をひきつけてやまない何かがありました。そこには、「もてなしの心」の原点と言えるものがあったとされています。

③カーネル・サンダースの生い立ち

カーネルは、1980年9月9日に、ルイビルとオハイオ川を一つ隔てたインデアナ州の町、ヘンリービルに生まれました。その頃のカーネルの家は、困窮のどん底でした。父親はカーネルが6歳になったときに亡くなり、母親は外に出て働かねばならなりませんでした。母親は隣近所の縫い物の手伝いをしたり、農産加工工場で日雇いをしたりし、農家の手伝いなどで生計を立てていました。カーネルをはじめとした3人の子供を養っていました。

 

 

母親は仕事にでかける前、6歳になったばかりのカーネル少年に必ず、料理のコツを教えていたそうです。弟や妹たちにふるまう食事は、カーネル少年が用意することになっていました。

 

後に「味の神様」といわれることになるカーネルでしたが、この頃から必要に迫られて調理を覚えなければならないという宿命を背負っていました。カーネルが7歳になったときには、すでにパンの焼き方をはじめ肉料理や野菜料理について見事な腕前を発揮していたといわれています。

To be continued