本コラムは、「フランチャイズ・ビジネス」の本質を深く理解し、応用していくために、弊研究所が研究してきたフランチャイズの歴史をお伝えするものです。今回は、1920~1930年代のアメリカについての続きとなります。本格的なフランチャイズ・ビジネスが登場し始める時期となります。

4.19201930年代のアメリカ②

(1)「チェーン・ストアに対する死刑宣告法案」

「ロビンソン・パットマン法」に追い討ちをかけるがごとく、1938年2月に、パットマンはチェーン・ストアに重税を課する「チェーン・ストアに対する死刑宣告案」と呼ばれる法案を提出しました。しかし、このような徹底的な処置に対しては、1938年2月5日付けの「ビジネス・ウィーク」をはじめとして、マスコミはこぞって反対論をかかげることとなりました。

 

そこで、チェーン・ストア側は、公聴会などで、チェーン・ストアの意義と存在を主張し、この法案を非難攻撃する決議を行ったのが功を奏し、この法案を廃案に追い込むことに成功しました。

 

(2)トンプソンのチェーン化の推進

フードサービスの分野においては、「J.R.トンプソン(J.R.Thompson)」が画期的な革命を行いました。それは「セルフサービス方式」の採用であり、テーブルサービスの全盛時代に、現在のファーストフードの原形ともいうべきものを開発したといえます。また、セントラル・キッチン方式を開拓し、人件費のコストダウンに完全とチャレンジしたのでした。

 

(3)禁酒法の影響

これまでのレストランというのは粗利益を拡大するのに、酒類の拡販が盛んに行われていましたが、1920年1月17日に施行された禁酒法は、少なからず影響を与えました。しかし、約14年後の1933年12月5日に終焉しました。

 

(4)チャイルズの革新とチョック・フル・ナッツの新システムの開発

「チャイルズ(Childs)」は、「料理コスト分析」「部門別管理」により、増大するコストの大幅なダウンと大規模なチェーンづくりの基礎固めを行いました。

 

一方「Chock Full O Nut」は、「カウンター・サービス方式」を採用したことと、リミテッド・メニューを大胆に行ったことにより、労働生産性の向上を図った結果、販売価格を通常のレストランより30~50%安く提供することにより、レストランの大衆化を行いました。

(5)ハワード・ジョンソンのチェーン化の偉業

「ハワード・ジョンソン(Howard Johnson)」は1925年に創業しました。28種類のアイスクリームを名物商品とし、レストランの展開をはかりました。本格的なチェーン展開は、第二次世界大戦後になりますが、1935年時点でも直営店とフランチャイズ店で61店を展開しています。

 

アメリカの自動車台数は、1921年に152万台、1929年に480万台と見られるように、1930年代に入って交通機関の主役の座が自動車になるのに呼応して、チェーン化の下地が出来あがりつつありました。

 

創業者のハワード・D・ジョンソンは、経営の信条として次のことをかかげました。

1.アメリカの全家庭に、均質かつ高品質の料理とサービスを、お客様が納得できる価格で提供すること。

2.大衆の求めるものにもっともよく合致し、多くの人々が来られやすい立地を選定し、レストランをオープンすること。

3.レストランとモーターロッジは、その地域社会の重要な要素の一部分となるようにオペレーションを行うこと。

 

これらの「経営信条」をもとに、人気商品のメニュー化、商品の標準化、店舗のイメージ統一によって、初めての土地へ旅行しても、「ハワード・ジョソンの店なら安心して食べられる」という、お客様への信頼感をつくりあげていったのでした。

 

しかし、「ハワード・ジョンソン」の偉業はこれだけではありません。実は1935年から「フランチャイズ・チェーン」のシステムを採用することで、大企業化を果たすにいたりました。

 

これを皮ぎりに、フードサービスの分野でチェーン化を行う経営者が続出します。それは、この「ハワード・ジョンソン」が「フランチャイズ・チェーン」の「システム」を開発し、成功させたからこそです。この実証がなければ、フードサービス業界におけるフランチャイズ・ビジネスの今日の隆盛はなかったかもしれません。

 

(6)フランチャイズ・ビジネスの本格的な誕生

この時代には、現在でいう「ビジネス・フォーマット・フランチャイジング」が続々と誕生しはじめます。ただし、ドラッグ・ストア、自動車のアクセサリー、自動車のレンタル、フードサービスなど、分野は限定的でした。

 

この時代の企業が「フランチャイズ・ビジネス」を展開したきっかけは、ほとんどの場合が自動車ブームでした。自動車ブームにより、代理店方式よりフランチャイズ店方式のほうが、メーカーにとって有利な店舗展開の手法になりました。販売拠点づくりのための資金不足の充足、広域での有能な人材確保、そしてなにより、お客様のサービスを充実するために広域に店舗を設置しなければならないといった事情があったことが理由です。

To be continued