本コラムは、「フランチャイズ・ビジネス」の本質を深く理解し、応用していくために、弊研究所が研究してきたフランチャイズの歴史をお伝えするものです。
アメリカのフランチャイズ発展史を語る上で外せない、「ケンタッキー・フライド・チキン」について、引き続き、その誕生の経緯を追いかけていきましょう。

    [ケンタッキー・フライド・チキン](2)

(1)創業者:カーネル・ハーランド・サンダース(続き)

カーネルの少年時代、母親の家庭教育は厳しく、子供たちは母の教えを忠実に守りました。母親は、清潔な男になれと教えました。このことは、カーネルがのちに完璧主義者になった遠因であると言われています。

 

母親はカーネルが12歳になったときに再婚しましたが、彼は義理の父親になじめず、家を出て職を求め、社会に飛び出しました。

 

カーネルは、いろいろな職業や商売を経験しました。フェリーボートの経営に参加したり、ランプの販売で失敗したりすることもあったようです。1912年の22歳のときには、ケンタッキー州のニコラスビルでガソリンスタンドの経営を始めました。

 

しかし、1929年の39歳のときに経済の大恐慌が起こり、ガソリンスタンドを売りはらわなければならなくなり、全財産を失ってしまいました。

カーネルは、心機一転してケンタッキー州カービンに1930年6月に再びガソリンスタンドを開業しました。カーネルは、その地域一帯に農家の納屋の壁という壁に自分の広告を出しました。

 

これは、彼が前にガソリンスタンドを経営していたときの経験から、自分のビジネスをアピールして、多くの人に知ってもらうことの大切さを知っていたからでした。

 

さらに、カーネルは、ガソリンスタンドにやってくる人に対し、至れり尽くせりのおもてなしやサービスを提供しました。

 

しかし、カーネルは常々、もっと喜んでもらえる方法はないか考えていました。そんなある日、多くの自動車客がお腹を減らしてくるのに気がつき、「車にガソリンが必要なように、お客様にはおいしい食事が必要」と考えたのです。ガソリンスタンドの脇の小さな物置を改造して、テーブル1つと椅子6つの「サンダースカフェ」を始めました。まもなくして、ガソリンスタンドを道の反対側に移し、その横に本格的なレストランを始めました。

しかしほどなくして、カーネルは「自分の提供するものやサービスは、必ずお客様を満足させることができる。また、そのようなビジネスをしなければならない」と考えて、今度は旅行者が安心して心地良く泊まれる場所を提供しようと、ガソリンスタンドを売り払い、新たにモーテル経営を始めました。

 

そのモーテルの雰囲気やサービスは、当時のどんなホテルよりも上回るクオリティでした。そして、カーネルのビジネスに対する姿勢は高く評価され、カーネルは地元で押しも推されぬ名士になりました。そして、1935年には、時のケンタッキー州知事より「カーネル」という名誉称号を授与されたのです。それ以後ハーランド・サンダースは「カーネル・サンダース」と呼ばれるようになりました。

尚、1939年に、コービンのレストランとモーテルが火事に見舞われました。この時、ビジネスの再建をあきらめかけたカーネルでしたが、一念発起し、新たに142席の大型レストランを作りました。その時、彼は地元の厨房用品店に器具を買いに行き、当時の新製品である「圧力釜」を発見したのでした。この出会いは、後の「ケンタッキー・フライド・チキン」誕生に繋がる、重要な転機となったのです。

 

To be continued